ずっと変化が必要だと言われ続けている中に、教育があります。
社会構造やその秩序を維持・成長させていくために必要不可欠なコンテンツとして遥か昔から、そしてこれからも必要不可欠であることは間違いないでしょう。
日本の文部科学省は「社会の変化に対応する教育の在り方」として、
「「時代を超えて変わらない価値のあるもの」(不易)を大切にしつつ、「時代の変化とともに変えていく必要があるもの」(流行)に的確かつ迅速に対応していくという理念の下に教育を進めていくことが重要である」
と考えているようです。
読み進めていくと、「生きる力」を身につけることを教育の目指すべきゴールと位置付けていることがわかります。

日本の教育は生きる力を教えている
ソフトバンクの孫正義も日本の教育の重要性について、
「7割くらいが暗記重視で3割くらいが思考、これを逆にすべき」だと語っています。
試験のあり方についてもアメリカ留学の経験から「暗記で解けるような問題ではなく、考えて解く問題」がアメリカの創造性を活性化させ続けていると指摘しています。
実際、スマートフォンで検索をすれば、先生の教える内容よりもはるかに、面白く、膨大な情報と出会うことができる時代となったことは事実です。
Google先生に聞けば、あらゆる答えが返ってきます。
パソコンの普及により漢字が書けなくなったという経験者が増えたように、考えることが出来なくなったとなれば、それは生きる力を損なうものになりかねません。
考える力は若者だけに限ったことではありません。
今生きるすべての人たちに必要なことだと解釈すれば、教育は全ての人たちに必要不可欠なものといえます。
MIT(マサチューセッツ工科大学)で行動経済学の教授を勤めているダン・アリエリーは、錯覚が私たちの日常的に起きているために、自らの意思で選択しているのではなく、無意識の思い込みで選択が誘導されてしまう事例をTEDでプレゼンしています。

我々は本当に自分で選択できているのか
その最後に、
「我々が物質的な限界を理解すると同様に 認識的な限界を理解するならば 我々をみんな同じようには見ないにしても、より良い世界を設計することができると思います」とまとめています。
見て触って確認しやすい「物質的限界」を補いながら進化発展してきたのが物質文明でした。
しかし、錯覚だと分かっていても錯覚してしまう、脳の「認識の限界」に対しては、洞察する力やこれまでとは異質な考える力が必要になります。
TEDで教育といえば必ず名前の上がるケン・ロビンソンは次のように述べています。
「私達みんなが囚われている考えがあります。私達はそういう考えを、自然なこととして、そういうものと思い込んでいます。私達の考えの多くは、現在の状況ではなく、前世紀の状況に合わせて形成されました。しかし私達の心は、いまだ囚われたままです。ですから、私達は自らを束縛から解放する必要があるのです。」

学びに革命を起こそう
そもそも、考えとは何でしょうか?
考えはすべて脳で行われています。
5感覚から入ってきた情報と過去に蓄積してきたデータを組み合わせ、暗記した言語を操り走らせているのが考えです。
この作動プロセスはコンピューターとよく似ています。
コンピューターがOS(オペレーティングシステム)でプログラムを走らせているように、
人間は、5感覚と脳、そして認識の癖がOSとなって、考えが走っていると捉えることが出来ます。

5感覚と脳の認識の癖によるOS
このOSの観点から見みると、人類は一度、プログラムの大きな進化を果たしたといえます。
ルネッサンス以前は、神や精霊など人間を超越した大いなる存在をすべての基準として、目の前に起きる現象から社会秩序の構築などあらゆることを説明しようとした時代がありました。
そこから、人間自らの主体を基準として、あらゆることを解析しながら、新たな文化文明を拓いています。
この、考えの基準点の変化はまさしく革命となりました。
そして今、また新たなる可能性に由来する基準を探ろうとしている人類がいます。
これまでとは全く異なるOSを認識技術として体系化したものが観術です。
これまでのOSは、存在があることを前提に、主観である観点よりも、客観的な解析を科学技術を使って発展させてきました。
これによって自分以外の開発は、画期的な進化を続けていますが、私たち自身の変化は立ち往生している限界を抱えています。
新しい認識OSとは、
客観の世界である「物理の宇宙」(旧OS)と主観の世界である「意識の宇宙」を相対的に捉え、さらにその2つの世界を「有」とし、そして逆の「無」を相対的に位置付け、この有と無を同時に生み出す新素材から相対世界がどう生まれるのかを論理とイメージ(ダイナミックシステム)で説明可能にしています。

新しい時代をもたらす認識OS
これまで、科学によってどんな発見がもたらされても、一般の私たちの日常にはなんの影響もありませんでした。
ニュートンの万有引力から、最先端の膜理論まで進化してきたはずですが、人類の思考はまだ、ニュートンのレベル(存在の変化運動移動を思考する観点)から変わっていません。
ロボットやAIが人の代わりに活躍する時代が始まろうとする間際に、人類はまだ、分かり合うことさえ難しく、摩擦衝突が絶えないのが現状です。
主たる心の自立。
主観を磨き、真実が個人の主観にとどまる世界ではなく、客観的な世界として共有可能とする技術が多くの人にとって当然となった時、人類の分かり合えない長い歴史に、終わりを告げることができるでしょう。
認識OSは、考えを暗記中心から創意へと移動していきます。
帰属している自分ではなく、あらゆるものから独立した主体を持つ、この認識センスの開発が新たなニーズとして受け入れられ、教育産業として発展すれば、これまでの人によって生み出されたものにも、新たな自由度を獲得する可能性が生みだされます。
科学技術によるロボットやAIの進化が、人の存在の意味や価値に改めて注目を集めるきっかけとなった今、「認識」や「宇宙の外」といった人の意識拡張を意味する単語が溢れていくでしょう。
しかし、自分自身の日常とつながらなければこれまでとは変わりません。
認識OSは、
「自分の知っている世界から自由」
を可能にした認識技術です。
ここからはじめるあらゆる可能性は、尊厳ある人間性そのものです。

はじまりはいつも可能性しかない