人類にとって、なぜ認識のクセで考えることが必要なのか


このブログで何度かお伝えしている、「認識のクセ」

私たちの脳には認識するクセがあります。 それは、全体のうちの部分しか取れない。共通ではなく違いしかとれない。今ここを過去とつなげてしまう。有限化するというものです。

これは、全ての人に共通して持っている認識構造です。 そう、みんな同じ。

私たちの考えは、認識のクセが影響しています。 私たちのイメージは、認識のクセが影響しています。 私たちの、感情にも、アイデンティティーにも。言葉や行動にも、認識のクセが影響しているんです。

ということは、認識のクセを理解することで、自分の可能性を広げることができることにもなります。 そして、自分が実感して理解できたことは、他の人も同じだということにもなります。

例えば、 「どんな部分を見ているのか」「どんな違いを見ているのか」「どんな過去のデータから見ているのか」の認識をたどるだけで、自分が何をそもそも見ているのかを認識することができます。

潜在意識を開発したり。 相手の考えていることを理解したり。 自分が表現したいことを深めたり。

仕事や人間関係、コンプレックス。将来への不安や経済的な不安に対してもクリアすることができるでしょう。 もちろん、未来を今ここから創り出すことも。

人類にとって、なぜ認識のクセで考えることが必要なのかを、まとめてみました。

・みんなが使っている(人類共通の認識構造である)

誰にでも共通していること。その価値はとても大きなものです。 共通だからこそ、理解を共有すれば、お互いの「何をどのように考えているのか」「何を見ているのか」「どんな過去のデータから見ているのか」を共有することができます。

・自分のみならず、大切な人との関係に、深い相互理解と尊厳関係を創り出すことができる

人が認識する世界は、ざっくりとしています。 解釈の違いで、けんかになったり、誤解をしてしまったり。 相手をより理解したいと思っても、どこから何をどう質問していいのかも、案外難しいものです。 認識のクセの構造通りに質問することで、お互いがより深く理解し合うことができます。

・自分で作っている自分の世界に、意志や心の動きを広げていけること。いきわたらせることができる。

自分の事。相手の事。この世界の事は、あなたが意味付け価値付けし、選択した産物です。 しかし、残念なことに、その実感を持つ人はなかなかいません。それだけ、自分が意志で創っている実感がない。心から創り出している実感がないということになります。 世界の隅々まで、意志や心の動きをいきわたらせることができた瞬間を、人は「感動を実感している」、「幸せを実感している」と感じます。

・自分の創った自分の世界なのに、自分が苦しんでしまうことから自由になる。

悩みや苦しみ、悲しみの多くは、自分の過去のデータバンクの情報によって生み出されています。 同じ情報を全く別の観点から解析すれば、それは苦しみだけ、悲しみだけの情報ではないことに気付きます。 情報の部分だけ、違いだけをとって、そう認識していた自分がいるだけです。

この仕組みを理解すれば、苦しみや悲しみは、あなたを留めるものではなく、より別の可能性を探るきっかけになるでしょう。

・世界の限界が、自分の心の限界にはならない。

あなたが世界を創っているといっても、物理法則や生命のメカニズムを覆すことはたやすくできるものではありません。 認識の構造も、宇宙のしくみのプログラムの一部です。 しかし、争う必要のないところの争いは止めることができます。必要のない格差や著しく偏った観点。これまでとは違う因果を結び直すことも。 認識している世界はほんの一部です。それは心の限界ではありません。しかし、自分の限界だと認識した時点で、そうなってしまいます。

お互いが観ている世界を共有できる。 尊厳を守ることができる。 必要だと思いませんか?

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