
三人の子どもを育て、幼児期を越えたお母さんが、新米のお母さんへあてたメッセージがあります。
僕は、もう成人を越えた人の心の動きや意志を育てるという立場に、立たせてもらっています。
じっくりと育てたり、時には怒ったり。
人が根っこから変化するその美しさは、僕が出会った何よりもきれいだと、今でも思っています。
でも、お母さんの心情は比べ物にならないようです。
僕にもお母さんはいます。
たぶん、このメッセージにあるくらいか、それ以上に、いろんな思いをさせてきたんだろうなと思います。
そんな話、もちろん聞いたことはありません。
教えてって言っても、うちのお母さんは言わないでしょう。たぶん。
メッセージから
「何度もこぼされたおみそ汁」
「おかずといっしょにぐちゃぐちゃにかきまぜておいて、もう食べられない、と残された見るのもいやになるお茶碗の中のご飯」
「いくつコップを割っただろう」
「何度床を拭いただろう」
「素足でご飯粒を踏んづけた情けない感触は今でも思い出すとぞっとする」
「だけど、今大人まで後一歩の子供達を見ながら、思い出すのはあのまん丸の鼻水とよだれでべとべとの顔、何度も握りしめた小さいえくぼのある手の感触ばかりだ」
「時はもどらない」
「あんなに濃密でこれでもか、というぐらいの思い出が詰まった日々は、もう二度と来ないのだろう」
メッセージを読んでいくと、自分の親と重なり、うるうるしてしまいました。
ぜひ、一読ください。
こちらです。