人はなぜ、正しく理解したのにも関わらず、日常で使えなくなってしまうのか


テレビやネットには、たくさんのノウハウが溢れています。 「健康について」、「幸せについて」、「何が大切なのか」、「なぜそういえるのか」 紹介される内容は、決して難しいものでもなく、自分と関係があると思いやすいものばかりです。 これだけのノウハウが溢れていれば、誰もが健康で、幸せを感じる日常を送れるはずですが、実際はそうはいきません。

研修やセミナー、講座などを通して、正確に理解をしたとしても、日常に戻ると、なぜかうまくいかないという話もよくある話です。 例え、研修中に実践を経験したとしても、日常ではいつの間にか、研修を受ける前と同じ状況になってしまいます。

人はなぜ、正しく理解したのにも関わらず、日常で使えなくなってしまうのでしょうか?

誰もが同じく経験することであれば、そこには何か法則があることになります。 今回は、 人が考えるとき働く構造を使ってご紹介します。

先ず例え話から。

電車で通勤中に、どこからか突然、音楽が鳴りました。ヘッドホンからの音漏れです。

「うーん、この曲なんだっけ」と、どこかで聞いたことがある曲を、おぼろげな記憶をたどりながら、「あっ、マイケル・ジャクソンだ」と気付きます。 音漏れはもう止まっていますが、頭の中では曲のフレーズが繰り返し流れ続け、また聞いてみたいなと思います。

この時に働いているのが、誰にも共通する考えの構造である、「解析サイクル」です。 音漏れの曲と出会い、記憶をたどりながら「What」を規定し、マイケルの曲やマイケルにまつわる記憶が思い出され、また聞いてみたいなと思う。 これを構造として整理すると、こんなイメージになります。

人の脳は、目の前で起きた(五感覚でキャッチした)ことを理解するときに、必ず自分の知っている世界(記憶クラウド)にアクセスし、その情報に基づいて決め付けようとします。 それを「What」として、その存在を規定するのです。

先程の、 「マイケル」の曲を、間違えて「ABBA」とWhatを規定してしまうと、解析のサイクルが働いて「ABBA」の曲を聞きたいなと思うことになります。 その後、動画サイトで検索すると、「あれっ、マイケルだった」と間違いに気付くことになります。

つまり、規定した「What」が考えの前提となり、その前提に沿って、考えを重ねながら、結論が導き出されます。

電車で音楽が流れ、その音を五感覚でキャッチします。「♪」

そのキャッチした音を「んっなんだっけこの曲」と関心を持ちます。「What」

記憶をたどりながら、「この曲は・・・」と記憶を探ります。「条件反射」

「あっ、マイケルだ!」と結論が出ます。「解析の結果」

その解析の結果が、次の解析につながっていきます。「マイケルの曲を聞きたいな」と。

研修やセミナー、講座などで、正確に理解し覚えた情報でも、「What」で理解した情報を使うことができなければ、「理解した情報に基づいた解析」が出来ないことを意味します。

解析は習慣性が強いのが特徴です。 新しく理解したことを使うことができなければ、今までやって来た習慣を自動的に繰り返し、いつの間にか元に戻ってしまうことになるのです。

大きなポイントは、「What」の時点です。

「What」の時点が、「理解した情報」を使うのか、「今までと同じになる」のかの分岐点になります。 どんなに正確に理解した情報でも、この「What」の時点で使うことができなければ、日常では役に立たないことになるのです。

これが、 人はなぜ、正しく理解したのにも関わらず、日常で使えなくなってしまうのかの答えとなるものです。

逆に、日常で使えるようになるためには、 先ず「正確に理解すること」。 そして、「Whatで使えるようになること」の二段階のステップが必要だと言うことてすね。

ぜひ、試してみてください。

#解析サイクル #認識 #認識のクセ #教育

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