
広島へオバマ大統領が訪問しました。
もう皆様もご存じのとおり、原爆を市街地に落とした唯一の国家と落とされた唯一の国家のトップが、その被爆地に訪れた、歴史的な場面となりました。
その中で、個人的にとても感動したことがりました。それが、被爆者のコメントでした。
「大統領に一番望んでいたのは、広島の地に来てほしかったこと」
「それと、原爆資料館に入って、原爆の悲惨さを知ってほしいことです」
そのコメントに謝罪という単語は出てきませんでした。
それがとても不思議だったんです。
70年もの長い間、被爆の苦しみを感じ続け、その訴えを何度となく繰り返しても、その声は届かず。周囲から屈辱を受けることもあったはずです。
原爆で破壊され、時間による屈辱を受けた70年。
個人の苦しみを考えると、とても深い悲しみがあるくらいは分かります。
にもかかわらず、個人の感情をぶつけるのではなく、「来てほしい」「知ってほしい」という、人類歴史に対するその姿勢に、感動したのです。
日本人という民族観がそうさせるのか、他の国でも同じなのかは分かりませんが、特攻で命を懸けた先人たちの「良き日本となるために命を懸ける」思いと重なり、涙が出る心になりました。
謝罪は必要ないのかといえば、そうは思いません。
しかし、謝罪の言葉よりも、命を懸けてきた思いに答えるのは、核の廃絶と戦争の停止たる人間性を全人類が持てることではないかと思います。
いつの日か、国家の主たる人物が、こんなことを叫んでくれる日を願いたいとともいます。
「即時争いをやめるべきではないのか!いいかげんにしろといいたい!人間はこんなもんじゃないはずではないか!」