出来ないところも含めて自分を認める大切さ


・誰かに認められたい。 ・自己評価を高めたい。 ・あの人のように自信が持てたらいいのに。

自分の「出来ないところ」と出会うのは、人にとっては生きている証しと言えるほど、必ず付いて回るものです。

生まれてから二歳にもなるとイヤイヤ期が訪れます。 自分で全部やりたい。けど、出来ない。 そんな自分を理解できるほど、考えが発達しておらず、やりたいことが出来ないイライラで心がいっぱいになって当たり散らしてしまう時期です。

自分の状態を理解できるようになると、イヤイヤ期が卒業できるように、大人になってからも付きまとう「出来ない」についても、理解できると囚われなくなります。

「出来ないこと」=ダメなこと、怒られること、恥ずかしいこと。 と思っている人は、相対比較や自己否定、他者否定を行いやすくなります。 「自分の感じていること」や「心の動き」を我慢し、やり過ごす選択が習慣的に働いてしまいます。

問題なのは、この習慣に固定されている点です。 「そう思ってしまう」段階では、さほど問題にはなりません。自ら修正をかける余裕があるからです。 しかし、 そう思っていることにさえ気付けない。 気付いているけど、他の選択が出来ない。 となってしまうのは問題です。

自分の心からの考えをストップし、自分以外の考えを選択することは、他者との違いをなくし、同化させることで目の前の現実を乗りきる手段としては、効果的です。時には人から認められることもあるでしょう。 しかし同時に、心から考えたくない選択によって、人生を創り出してしまうことになってしまいます。

これが習慣的になってしまうと、

自分の人生なのに、そこに自分の心が無くなってしまう

ことになります。 これは、大問題です。

「出来ないこと」は、決してダメなことや怒られることではありません。 出来ないことは、出来ないことなのです。

しかし、「他者からどう思われるのか」や、「相対比較」が働いてしまうと、そのまま考えることができず、○×が反射的に働き、自己否定や他者否定へと移動していきます。

出来ないことをそのまま考えると、どうなるのでしょうか。

まず、心から出来るようにしたいのか、出来ないままでもいいのかの選択が必要です。 その上で、出来るようにしたいのなら、「どのように出来るようになるのか」を考えていけばいいだけなのです。 もちろん、そのプロセスにおいても「出来ないこと」が付いて回りますが、現実はトライ&エラーの世界です。少しずつ出来ることを増やしていくしかありません。

よく、「出来ないところも含めて自分を認める」というニュアンスを聞きますが、実際は、そう簡単な話ではありません。

心からその選択をしたくても、考えの習慣が強く働いてしまえば、反射的に心を無視して、自分で自分を小さくさせてしまいます。 しかし、そのことで苦しみや辛さを感じてしまうのであれば、「心」がその「考え」に抵抗していると言えます。 その抵抗は、言い換えればこう言えるのではないでしょうか。

「私はこんなものじゃない」

「出来ないところも含めて自分を認める」とは、条件や状況によって変わる変動的な自分が本当の自分ではなく、その小さな世界が全てではないんだと叫びたくなる、自分の涙を大切にすることです。

そんな涙と出会ったら、 苦しみや辛さの奥にいる、叫びたがっている自分を、いつか必ず100%スッキリさせる勝負をするんだ!と決意を重ねましょう。

時代はより本質的なコンテンツを求めています。スッキリを可能とする様々なコンテンツがこれから生み出されるはずです。 このブログのベースとなっている認識技術・観術も、そのコンテンツのひとつであり、僕は確実に案内することを仕事としています。

コンテンツを道具にし、100%のスッキリへ挑む未来は、決意の積み重ねによって実現できます。 その未来へ向かう為の「出来ないところも含めて自分を認める」ことは、とてもとても大切なのです。

出来ないところも含めて自分を認めることの大切さ。伝わってるといいなーと思います。

#相対世界 #習慣 #観点固定

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