コンテンツを見極める大切さ


前回のブログでは、「自分を見極める大切さ」について考えてみました。

人の考えや感情、取組みの全ては、認識の構造の影響を受けていること。 だからこそ、自分がそもそも何を観ているのかの「自分の観ている世界」を見極めることが大切ですよという内容でした。

(参照:自分を見極める大切さ)

今回は、コンテンツを見極める大切さについてです。

人は、不完全な存在です。 条件や状況によって変化する現実に対応するため、足りない何かを補うために、様々な道具や技術を開発し、文化文明にまで発展させてきました。

コンテンツは、自分の足りない部分を補うために活用する道具です。 用途や機能はコンテンツによって様々ですが、個人の変化の観点に絞ってみれば、個人が観ている世界がどのように創られ、どのような可能性があるのかを示すものです。

コンテンツによって、自分の現在地が明らかになり、新たな可能性や希望を感じられることは少なくありませんよね。

しかし、コンテンツを選択したすべての人が、同じような変化が創れるのかといえば、現実は異なります。 うまくいく人もいれば、いかない人もいます。

僕自身、このブログのコンテンツである認識技術・観術とかかわりを持って10年以上経ちます。 その間、多くの人と出会い交流してきましたが、やはりうまくいく人、いかない人が生まれてしまいます。

コンテンツによる具体的な変化や根本的な変化を実感できない人の傾向を上げるなら、「コンテンツに振り回されてしまう」ことではないでしょうか。

・コンテンツの示す「変化」に基づいて、自分が変化しているかしていないかを判断してしまう。

・コンテンツの示す「○×」に基づいて、自分や他人をジャッジしてしまう。

・コンテンツの示す「内容」に基づいて、その他の情報知識や存在を決めつけてしまう。

「コンテンツが示しているから、自分はその通りにしている」という依存の状態ですね。 この状態が長く続いてしまうと、誰ともコミュニケーションが出来なくなってしまったり、関係構築が困難になってしまう状況につながってしまいます。

とはいっても、誰もが通る道です。 全く知らない世界に飛び込めば、コンテンツの基準に基づいてあらゆる物事を考えようとすることは、学ぼうとする姿勢態度には必要です。 逆にその時点で、自分の判断基準に基づいてしまうと、理解さえできない状況になってしまいます。

何が問題なのでしょうか。

端的に言えば、「自分そのものになっていない」ことです。 コンテンツを習得した先にある姿は、「コンテンツが示していること」に基づいて解析するのではなく、「コンテンツを理解した自分がどんな世界を創りたいのか」に基づいて解析をしている姿です。

コンテンツは、自分の足りない部分を補うために使い始めます。 しかし、「コンテンツが示しているから」という前提で物事に対して解析を重ねてしまうと、「自分によって創る世界の蓄積」を実感することはできません。 逆に、コンテンツの示す通りに出来ているのか/いないのかの傾向と対策が蓄積されるだけです。 これでは、自分とコンテンツが分離している状態が続いてしまいます。

つまり、「足りない自分」は変わっていないことになります。 足りないという認識によって、コンテンツの示していることの通りにしようと考えてしまうのです。

この状態にならないためにも、「自分の見極め」は大切です。 その見極めた自分の課題を変化させる道具として、その「コンテンツがなぜ必要なのか」を見極めることが、コンテンツを見極めることになります。

そのコンテンツが自分に何をしてくれるのか、ではなく。 そのコンテンツによって、自分の世界の描き方が、どこからどのように変わるのか。 自分の世界を観ている認識が、どこからどこへ変わるのかどうか。

変化するのは、自分の「知っている世界」ではありません。 あなた自身の「何をどう思うのか」その認識が変わることです。

・見極めた課題にとって、なぜそのコンテンツが必要なのか。

・自分の世界の描きかたをどこからどのように変えるのか。

コンテンツの見極め、ぜひ一度取り入れて見てください。

#基づく #変化 #観点 #完全と不完全

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