イジメとは何か?-なぜなくならない?-


最近…ではなく、ずっと話題になっては、消え。消えたと思う頃に、また話題になる「イジメ」。

実は、消えていたわけではなく、単に表になっていないだけの話ですね。子どもの世界のみならず、大人の世界、国家間の世界でも、イジメ、もしくはイジメらしき現象は繰り返されています。

ちなみに、イジメの定義が文部科学省によって、決められているのはご存知でしたか?

「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」「起こった場所は学校の内外を問わない。」 (参照:文部科学省http://www.mext.go.jp/ijime/detail/1336269.htm)

この定義は、文部科学省が平成18年に新しい定義として発表したものです。

被害者がイジメられたと発信すれば、イジメとして成り立ちますよという内容です。

それまでは、加害者と被害者の同意が必要でした。

イジメの定義文の、児童生徒を人類に置き換えたら、この世界は闇だなーなんて思えてしまいます。

その闇の一部の現象に対して、イジメと名前を付けているだけなのかもしれませんね。

さて、なぜイジメが消えることはないのでしょうか。

様々な観点からの問題定義があると思いますが、僕は「疎通の課題」「尊厳の確立」だと捉えています。

イジメが問題視されたときには、「イジメる側が原因だ」「イジメられる側にも原因がある」と、ナンセンスな議論になってしまいますが、犯人捜しをしている限り、この問題が消えることはありません。

そもそも人間の認識構造には、部分だけの情報を基に存在や現象の全体像を決めつけてしまう認識のクセを持っています。ここに全ての原因があります。

これは、特定の誰かに生まれる話ではなく、全ての人類に起きている話です。

この認識構造から観ると、

人の考えの全ては、

『「自分」が、「部分的な情報を基に」、「全体像を決めつけ」、その決めつけを前提に、考えている世界を見ている。』

結果だといえます。

端的に言えば、誰もが『自分が規定した世界を見ている』のです。

自分が見ている世界が、そうであるなら、その認識構造は相手も同じです。それぞれが、自分が規定した世界を見ている事になります。

ここで起きてしまうのが、「疎通の課題」です。

認識構造から観れば、同じ現象を見ていたとしても、観ている世界は違うことになります。

しかし、同じ世界を見ていると「規定」してしまうと、「価値観が同じ/違う」「相性が合う/合わない」という考えにつながってしまい、摩擦衝突が始まってしまいます。

そもそも全く違う世界を見ていることが前提にならない限り、疎通は始まりません。お互いが自分の世界を主張しているだけの会話になってしまいます。

この「疎通の課題」は、相手と自分との間だけにとどまる話ではありません。

何か具体的な考えの全ては、部分的な情報を基に、全体像を決め付けた情報です。

自分の記憶の中にある全ての情報が、その蓄積なのです。

その結果、自分自身との疎通の課題が始まってしまいます。

心と考えが一致しない。

思っていることと現実が疎通出来ない。

したいと思っているニーズと行動が一致出来ない。

これらは、多くの人の悩みの種になり、自らの「尊厳の確立」を難しくさせてしまっています。

水の事例でみてみましょう。 常温の水に対して、マイナス10度の条件を加えると、氷に変わります。次に100度にすると水蒸気に変わります。 言葉から連想する「水」「氷」「水蒸気」は、全く異なる存在です。

条件によってコロコロと発言する内容が変わる人を信用できるでしょうか? 信用しずらいですよね。 それと同じように、一貫した「規定」ができず、コロコロと変わってしまうのが当たり前の世界にいると、確信を持ちたいのに持てなくなってしまいます。

これが、自分の存在観や価値観に当てはまってしまうと、自分の尊厳が一貫できず、安定した在り方が持てなくなってしまいます。

結果、「尊厳の確立」が出来なくなってしまう。そんなことが、全ての人に起きています。

「疎通の課題」を解決できず、自らの「尊厳の確立」が出来ないと、人間はある行動をとることで、その限界を補おうとし始めます。

それは、他人を自分の存在より低く見て、自分の尊厳を確立させようとしてしまうのです。

加えて、相手を変えようとしたり、自分を否定的に捉えてしまったりと、否定する対象を探そうとしてしまいます。

イジメは、その行動の結果体です。

この行動を心から選択したい人はいません。誰もが、自らの尊厳の不確立を補うために無意識に起こしている行動なのです。

「疎通の課題」「尊厳の確立」を、この時代に最も解決するべき問題意識として認知され、認識構造に対する理解が広がることが、イジメをなくす近道となります。

イジメという行為は、自らの尊厳を補おうとしているのです。

何かを否定したとしても、尊厳が確立させることはありません。自分の尊厳が失われていると感じているから、補おうとする行為が起きてしまいます。ではなぜ、失われていると感じているのか?

そこへの勝負を自らが決断しない限り、越えられない限界がそこにはあります。

犯人探しをしている場合ではありません。

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