幸せを求めてしまう人は、失敗を避けようとしてしまう


幸せを求めてしまう人は、失敗を避けようとします。

どうしてでしょうか?

幸せと失敗は「反対なもの」、「違うもの」だと認識しているからです。

これだと、幸せを得るのか失敗を得るのか、そのどちらかしか得られないことになります。

本当にそうでしょうか?

新しいチャレンジがなかなか選択できない女性がいました。

チャレンジをすると、どうしても自分の「足りないもの」「限界」と出会わざるえないからです。

自分の「足りないもの」「限界」をなぜ拒否してしまうのかを見ていったところ、そこには「寂しさ」がありました。

寂しさが自分の中で溢れてしまうと、孤独を感じてしまい、考えることも動くこともできなくなってしまう。だから、新しいチャレンジが出来ないと、とらわれていたのです。

そこで、「寂しさ」について質問してみました。

寂しさを自分にとって「イヤなもの」だと捉えているから、孤独を感じ、チャレンジができなくなっていますよね。

では、寂しさは、絶対に「イヤ」なものですか?

寂しさを感じるからこそ、「イヤなもの」の他にも気付けることはありませんか?

ちょっと文字で書くと難しく感じる質問ですね。

女性は、「寂しさ」を「×のニュアンス」で捉えています。「○のニュアンス」をで考えたらどうなりますか?という質問でした。

う~んと考え、色々出てきた中でしっくり来たものは、「安心」でした。

寂しさを感じたからこそ、「安心」の大切さを実感している自分がいたことに気付いていました。

寂しさを感じている中で、安心を実感する。

そんな不思議なことが自分の中で起きていることに気付いたことになります。

「寂しさ」と「安心」を別のものと捉えていたら、この気付きは起こりません。

幸せと失敗にこれを当てはめると、「失敗」したときには、「幸せ」が隠れていることになります。

「失敗」と「幸せ」は同時に生まれたり消えたりしているのです。

どういうことなのでしょう?

失敗と幸せ。寂しさと安心。

これは、本人が主観的に捉えた「相対世界」です。

相対する二つの世界は、同時に生まれたり、消えたりする関係を持っています。

ひとつシミュレーションしてみましょう。

A4の白紙の真ん中に、円を書いてみてください。

すると、円の中の世界、外の世界が現れます。

円の境界線によって、中の世界と外の世界が同時に生まれました。

境界線が消えてしまえば、二つの世界は消えてしまいます。

相対する二つの世界は、一本の境界線により、同時に生まれたり消えたりする関係にあるのです。

幸せを境界線の内側、失敗を境界線の外側だとすると、幸せと失敗は同じ境界線で成り立っています。

しかし、幸せの側から見れば、境界線は失敗入り口に見えます。失敗を恐れ避けようとするほど、境界線が見えなくなってしまいます。

境界線が不明瞭になれば、幸せも不明瞭になります。

このままだと、何をどう考えればいいのか分からなくなってしまいますね。

境界線が見えなくなる。それは、幸せも失敗も見えず、迷子になっている状態です。

幸せを求めるということは、失敗を求めていることになります。

安心を求めるということは、寂しさを求めることになります。

違和感を感じてしまう人は、相対する二つの世界の片側だけを見てしまっているのではないでしょうか。

片側だけにとらわれ、それを前提に考え始めてしまえば、自分の勝手な思い込みの中に入り込んでしまいます。

失敗するはずがないと。

二つの世界は、同時に生まれたり、消えたりする関係です。

さらに、二つの世界は相互に作用しあう切っても切り離せない関係でもあります。

失敗があるから、幸せの深さが生まれます。幸せがあるから、失敗の意味を自らつかむことができます。

寂しさがあるから、安心の大切さを実感できます。安心があるから、寂しさを抱きしめることができます。

二つの世界の出会いによって感じることができる「深さ」や「実感」に気付けることこそが、本物のクリエイティブだと考えています。自らの気付きや発見によって得られた「実感」は、死ぬまで消えることのないあなたが心から創りだした世界です。

この相対する世界の出会いを通して初めて描ける世界が、心の動きのよって再創造する世界となります。

ぜひ、じっくり考えてみてくださいね。

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