仕組みで観るとはどういうことか
・仕組みには個人の違いはない
私たちは、健康を害すると医者に診てもらいますよね。
僕の話ですが、つい先日、、仕事先から帰宅中に、吐きそうなほど気持ち悪くなり、閉院時間ギリギリに病院に駆け込んだことがありました。
普段は体調を崩すことはめったにないのに、ここ3か月ほど、風邪をひいたり、喉を傷めたりと珍しく続いていてちょっと「変だな~」と心配になってしまったんです。
診断してもらうと、何のことはない、飲料水の飲みすぎだったようです(笑)

お医者さんは、僕から「なぜ来たのか」の話を聞き、身体を聴診器や触診などで診断していきます。
そして、念のためにと超音波検査をしてくれました。
さて、どうしてお医者さんは、それらの診断で僕の状態を見極めることができるのでしょうか?
そう、そこには身体の仕組みがあるからですね。
吐くほど気持ち悪いのであれば、その症状を引き起こす何かが、胃やその付近にあるはずだと分かるわけです。
原因となっているであろう部位をよく観察して、症状を引き起こす因果関係を明らかにしていきます。
この身体の仕組みは、年齢や性別などで多少違いはあるものの、同じ仕組みの部位がほとんどですよね。
これが、個人によって全く異なる仕組みだと、このような診断はできなくなります。
つまり、個人の違いがない仕組みを理解しているからこそ、個人を特定することができるということです。
別の表現をすると、
仕組みにおいては個人は存在しません。具体的な事例が個人を存在させます。
これは、「考え」や「認識」においても当てはまります。
それどころか、現実と呼ばれる相対世界のあらゆる現象に当てはまることです。
Youtubeの「2/4 脳の認識のクセと考え感情の関係を理解 解析サイクル編」(14:15~)
でもお伝えしている通り、「認識構造(認識のクセ、解析サイクル)」は人間共通の仕組みです。
この仕組みにおいては、個人は存在しません。
ここから、具体的な解析が始まった瞬間に、個人の世界が作られ始めます。
さて、これを踏まえたうえで、ちょっとしたシュミレーションをしてみましょう。
あなたの友人とお茶しているときに、友人からちょっと相談があるんだけどと持ち掛けられます。
その相談とは「転職を考えている」という話です。
「今の会社には5年勤めていて、もう今の仕事や職場からは学ぶことが無いのだと」
「悪いところではないのだけど、もう一段自分のレベルを上げるために、別の業種も経験したい」
「転職先も目ぼしはつけていて、動き始める前に相談してみたかった」
という相談です。
こんな相談を持ち掛けられたらどんな風に考えてしまうでしょうか。
・もう5年も勤めているから、単に嫌になったとかじゃなさそうだ。
・やりたいことがある上で、もう学びが得られないのであれば、転職してもいいのではないか。
・具体性があるし、自分の中では決定しているようだから、止める必要性もないのかも。
もしこのような考えであれば、それは個人の考えであって、仕組みではないといえます。
では、仕組みで考えるとはどういうことでしょう?
Youtubeの「3/4 脳の認識のクセと考え感情の関係を理解 影響編」を使ってみましょう。
認識構造は「相違点の解析を全体だと解析してしまう」という仕組みを持っています。
そこから解析を始めてしまうと、必ず「確信が持てず、足りない何かを見つけてしまう」という解析が走ります。
これは、認識構造が「全体」を認識できず「相違点」しか認識できないために、認識の空白が生まれてしまうからです。
ここには、「5年勤めている」「学びが得られない」「転職したい」といった、具体的な単語は出てきません。
まるで、「A=BかつA=C、ならばB=C」といった数式のように、論理的に展開される内容です。
この論理的に展開される仕組みに基づいて、具体的な事例を当てはめていくことが、仕組みで考えるということになります。
転職の事例を仕組みで考えると、
「足りない何かを補うために、転職しようとしている」
のではないかということが観えてきます。
するとこんな質問が浮かび上がります。
「何を足りないと思っているのか」
この「足りない」と思っているものが、職場を変えなくても得られるのであれば「転職する必要はない」ということになりますね。
また、職場に「足りない何か」を求めていること自体が、間違っている可能性もあります。
この友人の場合は、転職する動機となっている「足りない何か」を特定することが先ず初めにすることなのだと、観えてきますね。

どうでしょう。
仕組みで考えることと、単に考えることに違いがあることを確認していただけたでしょうか。
仕組みで考えることで、自分の考えを観察することができます。
逆に単に考えてしまうだけだと、自分の経験知識も含めた、様々な情報知識に振り回されてしまいます。
個人という存在の無い、個別の違いの無い「仕組み」から、どのように個人や違いが生まれているのかを観察すること。
このポイントに気付けるか気付けないのかは、人生を大きく左右することは100%間違いありません。