経験に基づく解析と仕組みに基づく解析の違い
人は、目の前にあるものを名前を付けて理解しようとします。
例えば、「テトラポッド」といえば海に沈んでいるあれを思い浮かべるでしょう。
では、「ヘプタポッド」といえばどうでしょう?
自分が知らないモノについては、それが何を指しているのか理解することができません。
これは、人間の脳の認識機能が、過去のデータバンクへ検索し、出会った事象を理解しようとしているからです。

過去のデータバンクに情報が無いものは、いくら検索しても見つかりません。
その時に出てくる解析は「分からない」「知らない」「難しい」となります。
次にその結論がデータバンクの中に関連付けられて蓄積され、「自分とは関係のないモノ」「よく分からないモノ」「重要ではないモノ」とさらに結論がついてしまいます。
経験に基づく解析だと、「自分とは関係のないモノ」と結論付けたモノをさらに深めようとはません。
再び考え直すこともなければ、調べることもなくなります。
仕組みの基づく解析だと、この説明のようにどこからその解析が始まり、どこで結論付けているのかが観察できます。
もし、この解析が自分の勝手な思い込みだとしたら、どこでどう解析すべきなのかが明らかになるんですね。

多くの悩みは、解析のどこかで自分の勝手な決めつけや思い込みが原因の場合がほとんどです。
他の解析もできるはずなのに、いつの間にか自分自身の解析で固定した世界を作り上げてしまうんです。
解析のすべてには、相違点を全体だと捉える認識構造が働いています。
この影響は、単語ひとつのレベルにおいても100%です。
この影響が示すのは、認識した対象にどんな名前を付けても、対象の部分を表したものに過ぎないということです。
例えそれが数式や仕組みで表したものだとしてもです。
この理解がないまま解析を重ね、結論を出し、コミュニケーションを図ったとしたら、いったいどんな現実が生み出されてしまうでしょうか?
誤解が生まれてしまうのは当然ですよね。
さらに、自分のことですら、そのすべてを解析することさえできません。
自分に自信がない、確信が持てなくなるのも当然です。
あらゆる悩みや問題はすべてこの仕組みの影響を受けています。
それらを解決しようと解析でさえ、認識構造の影響を受けているんです。
このジレンマを根本的に解決することができる技術が認識技術・観術であり、仕組みに基づいて解析をする理由でもあります。
今回は、経験に基づく解析と仕組みに基づく解析について語ってみました。