とある崇高だと評判の教育者に相談に来た人がいます。
相談「自分の人生を、輝く生き方にしたいんです」

教育「自分の人生を輝かせたいと」
相談「はい、そうです」
教育「輝く人生って?」
相談「私は夫と6才になる子どもがいます。子どもを通じて知り合った他の親御さん達を見ていると、私の人生ってなんだろうと思うようになったんです」
教育「そうなのね」
相談「はい。実は子どもが出来る前は私も仕事をしていていました。苦しいときもありましたが、今思えば、楽しかったんです」
教育「その時に戻りたいの?」
相談「そうじゃないんですが。」
教育「その時に戻りたいの?」
相談「自分という生き方が出来ていないなって思います」
教育「自分の生き方?」
相談「そうです。家族にばかり時間を取られてしまっていて・・・」
教育「時間を取られてしまっているの?」
相談「はい。そういう考えは良くないと思ってはいるんですが・・・」
教育「どうしてよくないの?」
相談「だって、家族も大切なはずなのに、自分のことを考えるのはよくないなって」
教育「何がよくないの?」
相談「家族と自分を分けていること・・・」
教育「家族と自分を分けるきっかけは何だった?」
相談「他の家族を見てからです」
教育「他の家族?」
相談「・・・」
教育「その家族のようになれたら、悩みは消えるの?」
相談「いえ、違うと思います」
教育「じゃあ、家族ではないのね」
相談「もうちょっと、自分の時間が欲しくて・・・」
教育「その自分はどんな自分なの?」
相談「・・・」
教育「輝きたいってことは、輝いていないと思っているはずよね」
相談「その通りです」
教育「輝くには、何をすればいいの。電気を付ければいい?ワックスを付けて磨けばいい?」
相談「違います(笑)」
教育「何を付けたらいい?」
相談「自分の何かです」
教育「それは、どこにあるの?あなたの中?他の家族?それとも自分の家族?」
相談「どれでもないです」
教育「じゃあ、どこにあるの」
相談「自分の時間の中とか」
教育「自分の時間はどこにあるの?」
相談「・・・この場がそうです」
教育「自分の時間は、あなたの中?それとも外?」
相談「中にも、外にもあるような」
教育「中にも外にも無いよ、どこにある?」
相談「わたしのこと?」
教育「そう!あなた自身があなたの時間であり、世界の源だよ」
相談「???」
教育「今も、ほら!あなたの時間を創り出しているじゃない」
相談「・・・」
教育「考えようとしているでしょう?見つけようとしているでしょう?探そうとしているでしょう?それがあなたの時間であり、世界だよ」
相談「あぁ!してます!」
教育「あなたが創り出したい時間や世界は、足りないことを満たそうとする世界なの?」
相談「違います」
教育「そうね。じゃあ、あなたが創りたい世界を邪魔するのは誰?」
相談「私です」
教育「そうよ。家族でもない、他の人でもないわね。じゃあ、あなたの世界を創り出す人は誰?」
相談「私です(涙)」
教育「いつ創り出しているの?」
相談「今、この瞬間に創り出しています(涙)」
教育「そう、常にそれしかないの。その実感をいつも忘れないことよ」
相談「はい(涙)」

相談者は、初めは他の家族と比較して、自分の時間が欲しいと思っていたようですが、実際は違っていました。
自分が創りだしたい時間や世界が分からなかったんですね。
そもそも、自分が世界を創り出しているという実感もなかった。
その現在地に実感を伴って理解できたときに、そこから見た景色が、自分しか世界を創りだすことはできないことでした。
誰といようと、どんな状況や環境にいようと、どんな世界を生み出すのかは自分しかいないということ。
それを見つけた!というお話でした。
あなたは、どうですか?