切っても切り離せない関係を、容赦なく切り離してしまう認識構造


切っても切り離せない関係を、容赦なく切り離してしまう認識構造

仕組みと経験との違い

現実の世界は相対の世界です。

相対する二つの世界は、同時に生まれたり消えたりします。

相互に作用しています。

共通点と相違点を同時に共有しています。

しかし、私たちの認識は相対世界を同時に理解することはできません。

これは、Youtube「1/4脳の認識のクセと考え感情の関係を理解 認識のクセ編」(29:19-42:55)の導入部分で話をしたことです。

ここで言いたいことは、

相対世界の片側の世界を理解しようとするときには、他方の世界を考えることさえ出来ないということです。

例えをここでもふたつ上げてみます。

ひとつは、山と谷です。

山が高くなればなるほど、谷も深くなります。

共通しているのは、大地。違いは山は高く、谷は低いことですね。

この相対関係を切り離すことはできるでしょうか?

できませんね。

山が低くなれば、谷の深さも変わります。

常に連動しているのが相対関係です。

ではそれを踏まえてもう一つ。

僕とあなたで考えてみましょう。

先ず、あなたのことを理解しようと僕が質問をし、あなたがそれに答えていきます。

僕とあなたはこの時、相対関係にあるといえます。

「あなたを理解しようとする僕」そして「それに応えようとするあなた」は相対関係です。

当然、コミュニケーションするので相互に作用していますね。

共通点は、お互いを理解しようとしていること。相違点は、僕とあなたは別人だということです。

しかし、あなたを理解しようとコミュニケーションしているときに、同時に僕のことをあなたが理解することはできません。またその逆もしかりです。

実際は、まずあなたを理解し、その後に僕を理解するということになります。

相対関係ということは、切っても切り離せない関係という意味です。

切り離してしまったら、相対ではなくなります。

しかし、理解しようとするときは、切り離してしまうことになります。

動画の中でもお伝えしていますが、切り離してしまえるのは、認識構造が部分的情報(相違点)を全体だと解析してしまうことによって起きています。

この影響は、単語ひとつのレベルから認識するすべての対象に働いています。

最近、知人のブログが炎上しました(笑)

自分の子供のことについてのちょっとした失敗談だったのですが、多くの批判が殺到してしまいました。

本人をよく知る人から見れば、いつもと何も変わらない、ちょっとドジでかわいらしい出来事だったのですが、それを本人を全く知らない人から見れば、「子供に対しての育児放漫」や「親としての無責任」と認識してしまったようです。

この「炎上」は、相違点を全体だと解析してしまう認識構造の象徴的な出来事です。

本人を知らず、ブログの文面という一部分の情報だけで、本人だけではなく子供との関係のすべてを決めつけてしまったことが、炎上へとつながっています。

炎上を行った人たち、つまり批判のコメントを書いた人たちは、何がどう問題なのかを書いています。

しかし、批判をしている自分の判断基準が本当に正しいのかを明確にはしていません。

正しさが証明できるほど完璧な人はそうそういません。誰もが失敗を経験し成長していきます。

この「批判」と「判断基準」は相対関係です。切っても切り離せない関係ですし、どちらかが消えれば、もう片方も消える関係のはずです。

しかし、批判を書く側も、読む側も「批判」だけを見て、その存在を決め付けてしまいがちです。

もし、批判する自分の判断基準の正しさを同時に書くことになれば、炎上という現象は無くなってしまうでしょう。

批判や正しさというのは、条件が必要です。

特定の条件では批判されることでも、ひとつ条件が変わるだけで可能性になったりもします。

体調を崩して普通に生活できなくなったとしても、そこから人生が変わる気付きが生まれたり、

机にじっと座ることが苦手な子も、音楽に会わせて踊れば周りを魅了することもあります。

どんな条件でも変わらずに批判されるべきことなんて、そもそもないのです。

ブログの文面から読み取れる条件の中では批判することはできても、文面で書ききれなかった条件と出会うだけで、その批判は変化していきます。

これもすべて相違点を全体だと解析してしまう認識構造の結果です。

良くも悪くもこの構造の仕組みで起きてしまう結果なんです。

つまり、自分を評価することが出来るのは、自分の一部分を見ているにすぎないこと。

見る条件が変われば、その評価でさえ絶対ではありません。

悩みや問題が仕組みによって起きているのなら、仕組みで解決することができます。

そう、相違点を全体だと思い込んでしまう考え感情から自由になることです。

#判断基準 #認識のクセ #認識

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