認識は範囲を勝手に区切ってしまう


認識は範囲を勝手に区切ってしまう

 切っても切り離せない関係を、容赦なく切り離してしまう認識構造

光があれば影が生まれます。

両者は切っても切り離せない相対的な関係にあります。

だとすると、

影が消えてしまうということは、光も消えているということになります。

しかし、私たちはなぜか、影は無くなってほしい。でも光はあり続けてほしいと思いがちです。

また、

光と影は別物だとする相違点と捉えることもできれば、光と影の共通点を捉えることできます。

この相違点と共通点も相対的な関係にあります。

どちらかが消えれば、もう片方も消えてしまいます。

しかし、私たちはどちらか一方だけを捉えてしまいがちです。

個性を豊かにすることと、協調性を大切にすることを同じ枠の中に収めることはしませんね。ましてや、それが光と影であれば、対立した観点にとらわれやすくなります。

不特定多数の人が同じ認識を持ってしまうということは、個人の問題ではないことになります。

そこには、法則性があることになります。

それが認識構造です。

この認識構造が働いている限り、私たちは相対関係の片方しか捉えることが出来なくなります。

光を見ているときは、影を観ることが出来ない。

相違点を観ているときは、共通点を観ることができません。

このことから、私たちは限られた範囲しか見ることが出来ないことが分かります。

例え相対的で切っても切り離せない、よく考えれば分かることでさえ、その片方を捉えようとしてしまうこと。

範囲を限ってしまう仕組みが、私たちの脳の認識構造は持っているのです。

この影響は単語ひとつのレベルでも起きています。

例えば、「春ワクワク感」と「春のウキウキ感」はニュアンスが違いますよね。

単語は何かを現しているものですが、それを「ニュアンス」と捉えると、単語が違うということは現そうとするニュアンスが異なるということになります。

一見似たような「春のワクワク感」と「春のウキウキ感」は現そうとする範囲が異なるということですね。

感性的な単語だけではなく、物質的な単語にも当てはまります。

例えば「スマホ」と「携帯電話」。

「スマホ」の範囲の中に「携帯電話」の範囲が収まっているように捉えることができますね。

では「スマホ」と「テーブル」ではどうでしょう。

ほとんど重なるところはありませんね。これは「スマホ」の範囲と「テーブル」の範囲が重なるところがないととらえることができます。

ただし、人工物というふうに範囲を広げると、一致することもあります。

コミュニケーションで観てみましょう。

「私のこと」をよく分かる人は、「私がみている範囲」と同じ範囲をみることができる人、ということになります。

これを価値観とか、判断基準とかいうんですね。

理解でみると、

伝えようとしている範囲と同じ範囲を捉えることが出来れば、理解しているということができます。

どこまでが範囲内で、どこからが範囲の外なのか。これが再現できれば、この人は理解しているといえそうですね。

これらが理解できると、

範囲を明確にすることは、コミュニケーションや具現化させていく為に必要不可欠であること。

生産性や効率化を図ることにも重要な要素であることが分かります。

今回は、認識構造は範囲を限ってしまうんだということ。

その範囲という観点から、いくつかの世界を切り取ってみました。

変化を創るには、その変化させる範囲を明確にすること。そして絞り込みを行うことでより明確性が増すこと。

せひ、範囲に着目して、日常を送ってみてください。

#変化 #観点 #相対世界 #認識

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