私は一度自尊心を失くし自分を大切に出来なくなったけど、もう一度自分と、自分の人生を好きになってみようと思った。

こんにちは、疎通の課題を解決するやまだゆうきです。
今回扱うのは自尊心です。
というのも、こんなキーワードをネットで目にしたからです。
「私は一度自尊心を失くし自分を大切に出来なくなったけど、もう一度自分と、自分の人生を好きになってみようと思った。」
とある方が仕事の現場に復帰した時のコメントです。
何があって自尊心を失ってしまったのかは分かりませんが、とても勇気のあるコメントだというのは伝わってきますね。
では、人はなぜ自尊心を失ってしまうのでしょうか?
今回も3回に分けて語ってみたいと思います。
◆自尊心って、いったい何?
人は誰でも「存在したい」という欲求を本能的に持っています。
人によってこれが「愛されたい」「認めてほしい」「かまってほしい」「どう思われるのか気になる」etc
というキーワードに変わってきます。
こういう時は主に相手から目線になってきます。
受動的ということですね。
受動的な状態では自尊心というキーワードは出てきません。
自尊心というキーワードが出てくる時は、
他人目線ではなく、「自らがどうありたいのか?」という自発的な観点が影響を与えているときになります。
つまり、自尊心とは、
自分を「愛することが出来る」「認めることが出来る」「自分のことは気にしない」といった、そんな自分でありたいという意志がある時に生まれてくる言葉です。
自尊心を語れる人は、人生の中で、何度も自分の在り方と向き合ってきたのではないでしょうか。
そんな自尊心を失ってしまうということは、心を失ってしまうことと同じように感じます。
もちろん、人によって感じ方は違うと思いますが、これまで中心としていた軸を突然失う感覚は、迷いや虚無感、そして恐怖が中心に置き換わってしまうほど、大きな喪失であること違いないのではと思います。
◆自尊心喪失のススメ
自尊心を一度喪失し、そこから復帰するときに実は大きな気付きを得ることがあります。
僕自身、何度か失ってしまったことがあります。
そこから復帰したときは、世界が一瞬でガラガラと崩れ、全く違う世界が広がるということがありました。
当然、新しい世界の方は天国のように感じたり、本来の自分に戻ったような気がします。
自尊心を失うのは、とても痛みを伴うものです。出来ればそんな経験はしたくはありませんよね。
僕自身も、また自尊心を失うような痛みを感じたいとは思いませんが、客観的にみれば、起こるべくして起きているとも言えます。
現実の世界を責任感を持って、自分を変化させながら頑張って生きていくほど、自尊心は崩れやすくなります。
それは、どんな時かといえば、自分に対する固定が起きているときです。
「頑張った」という実感を伴って作り上げた自分の在り方は、必ず固定するときがやって来ます。
いつのまにか、「自分は正しいんだ」という思い込みが、固定への第1歩です。
逆に理想的な在り方は、手放すことが出来ることです。
固定しているときほど、手放すことが出来ません。
「この自分でなければ」と抵抗し、自分が絶対に正しいという条件や理由を模索し始めます。
世界は常に変化しています。
自分が身を置く環境や回りの人達も。そして、何より自分自身も変化しています。
しかし、それに気づけないほど自分自身が何かに集中してしまっていると、いつの間にかズレが生まれてしまいます。
自尊心の喪失は、そんな小さなズレが積み重なって生まれた結果です。
自分ではどうしようもなくなったズレた自尊心は、一度失ってしまう方が未来の自分にとって、大きな気付きが得られます。
それは、自分自身が一番よくわかっていたりもするものですね。

◆真の自尊心はいつでも放棄できること
自尊心といえば、最近のことで思い出されるのは、サッカーW杯の日本代表のコメントです。
突然の監督交代劇からの話題は何度と無く耳にしましたが、いろんな意味で誰もが引き込まれる戦いを魅せてくれました。
賛否両論あった残り10分のボール回しの試合終了後の選手コメントの中には、何かスッキリしていないモヤモヤ感が伝わってきましたが、その後の決勝トーナメントのベルギー戦は、誰もがあの戦いに誇らしさを感じたのではないでしょうか。
ベルギーの試合後のコメントには、一人ひとりの決意やどんな状況になったとしても必ずベスト8の壁を越える覚悟を感じました。
日本代表には、自尊心と誇らしさがあった。
そう誰もが感じるチームでした。
真の自尊心を持つために、必要不可欠な要素がいくつかあります。
その中でも大きなひとつが、「貢献」です。
自分という存在は自分のためだけにあるのではなく、誰かのために存在している。
自分だけに向けられた自尊心ほど、薄くもろいものはありません。
なぜなら、手放すことが出来なくなってしまうからです。
自分しかその要がいなければ、手放したら最後。あとは喪失した後の世界が待っているだけです。
しかし、誰かに貢献したい心から生まれた自尊心は、例え失ったとしても、また何度でも取り戻すことが出来ます。
もう一つ大きな要因としては、「仲間」の存在です。
歴史上たどり着いたことのない大きなVisionを持ったとしても、仲間がいるのといないのとでは、安心感やモチベーションに大きな違いが生まれます。
たったひとりで生み出された自尊心でも大きな力となるものですが、仲間と共に実感できる自尊心は個人だけのものとは比較にならないほど安定しています。もちろん、例え失っても何度でも取り戻すことができるでしょう。
真の自尊心を持つための、「貢献」「仲間」は簡単に持てるものではないかもしれません。
しかし、自尊心を喪失したり、それでも前に進んでいこうとする勇気があれば、必ず有意義な出会いは起こるはずです。
その出会いを大切にするところからぜひ始めてみましょう。
◆まとめ
自分を「愛することが出来る」「認めることが出来る」「自分のことは気にしない」そんな自分でありたいという自分がいるときに生まれてきます。
自尊心の喪失は、小さなズレが積み重なって生まれた結果です。
真の自尊心と誇りは、貢献と仲間が必要。
今回は自尊心をテーマに語ってみました。
とはいっても、自分の変化は現在地の確認から始まります。
関心があればお気軽にご相談ください。
今の自分の現在地から確認していきましょう。