私だけが、なぜ?と思ってしまったら

こんにちは。
疎通の課題を解決するやまだゆうきです。
今回のテーマは、「私だけが、なぜ?と思ってしまったら」です
「私だけが、なぜ?」
と思ってしまう経験のある方は分かると思いますが、この思いに捕まれてしまうと、グダグダと止めどなく考え感情が溢れてしまいますよね。
このグダグダが無ければ、「なぜ?私だけなの?」と思ってしまうことは、特に問題ではなくなります。
でも、グダグダが続いてしまうと、「誰が悪い」とか、「そもそもあれさえ無ければ」とか、不平不満や自己価値を下げてしまったりと、いいことはありません。
何より、疲れてしまいますしね。
今回は、個人のクセの観点と認識構造の観点で見ていきたいと思います。
◆個人のクセ
個人のクセとは、個人の経験知から見ていくことを指しています。
何かしらの経験があるから、「私だけが、なぜ?」と考えてしまうのだ、ということですね。
「私だけが、なぜ?」
という考えにはどんな前提が隠れているでしょうか?
例えば、「他の人ではなく、なぜ私なの」とか。「他の人でもいいじゃない、なぜ私なの」とかですね。
つまり、
「できれば、他の人であってほしい」
という感情的な思いがギューっとなってます。
さて、ここで重要なのが、
「なぜ、あなただけであることが問題なのか?」
ということです。
もう一度いいます。
「なぜ、あなただけであることが問題なのか?」
です。
自分だけであることが、私にとっては問題なのだと思っているから、「他の人であってほしい」と考えてしまうんですね。
「他の人であってほしい」というのは、問題解決の策のひとつだということです。
実はグダグダというのは、その問題を解決しようと考え出したところから始まっているんです。
だからこそ、自分自身が「何を」問題だと思っているのかを明確にすることが必要です。
人の脳が持つ認識構造は、この「何を」というのを特定することが苦手です。
よくある話ですが、問題だと思って解決しようとすると、またいくつも問題が出てきてしまって・・・ということがあります。
これは、多くの場合、そもそも「何が」問題だと思っているのかが明確でない時に最も起こりやすくなります。
「何が」が特定されていれば、その「何か」に集中できます。
他の問題らしきものが出てきたとしても、ちゃんと選択が出来るんですね。
しかし、「何が」が明確でないと、他の内容に意識が分散してしまいます。
また、「何が」と特定されただけで解決する、なんてことも少なくはありません。
「私だけが、なぜ?と思ってしまったら」
ぜひ、「何を」問題だとしているのかを自分の認識を探って特定してみてください。
その時に自分にする質問が、
「なぜ、あなただけであることが問題なのか?」です。

◆認識構造からみてみると
認識構造は人間共通です。人による違いはありません。
誰もが共通している仕組み(認識構造)から、具体的に考え始めた瞬間に、個人のクセになっていきます。
これは、個人の経験の外から考え始めるということになります。
では、そこから「私だけが、なぜ?」を観てみるとどうなるのかというと。
「人間は、どうして『私だけが、なぜ?』と思ってしまうのか?」
という質問になります。
個人の範囲で考えるのとは、少し本質的な内容に変わってきます。
そもそもの話ですね。
認識構造は、「部分情報だけで全体像と創り出してしまう」という特性を持っています。
(参考: 28.22 認識のクセの特性)
人の一部だけを見て、その人はこういう人だと決めつけてしまう、、、というやつですね。
これは個人の性格や考えのクセの問題ではなく、認識構造の仕組みの問題です。
この仕組みは単語一つから始まり、存在や現象。仕事や時代。もちろん自分自身に対しても行っています。
脳が認識するあらゆることに対してこの仕組みが働いているということですね。
この仕組みが働いていると、「自分の存在の全体像も一部の情報だけで決めつけてしまう」、ことになります。
ということは、環境が変わると、自分の別の部分がフォーカスされて、別の全体像として決めつけられてしまう、なんてことが起きるんですね。
すると、、、自分の存在って、曖昧になってきます。
常に、何かが足りないという感覚に陥ったりするのは、この仕組みが原因なんです。
そんな時にやってしまうのは、他の人を通して自分という存在を確認しようとすることです。
これを、存在欲求とか、承認欲求とか言ってます。
実はこれ、個人の問題ではなく認識構造の仕組みの問題だったんです。
「人間は、どうして『私だけが、なぜ?』と思ってしまうのか?」
の答えのひとつは、
「自分という存在を確認しようとするから」(存在したいから)となります。
◆まとめてみましょう
私だけが、なぜ?と思ってしまったら
一つ目は、
「何を」問題だとしているのかを特定すること。
二つ目は、
存在したい欲求を持っているから。
でした。
つまり「何を」には、存在欲求とつながったキーワードが入ってくることになります。
これが明確になったら、あることが分かります。
それは、
とある現象と出会ったから「私だけが、なぜ?」という思いが出てきた、思っているけど、実はそうではないんだ。
特定された「何を」ばかりを普段から見ているんだということです。
別の表現をすると、
「何を」に固定された考えに自分が振り回されている、ということになります。
うすうす気付いた方もいるかもしれませんが、そうなんです。
「私だけが、なぜ?」というありがちないつものキーワードの「認識」をたどっていくと、実は自分の人生に深く影響を与えている「固定」と出会うことになります。
逆に言えば、自分の中にある「固定」が、たまたま「私だけが、なぜ?」というキーワードで意識化されたんだ、ということになります。
その固定は、当然、他に関しても影響を与えまくっています。
不平不満や怒りの感情、諦めの習慣の根っこは、実はこの固定とつながっている可能性が高いんです。
この固定を見つけ、取り除き、新しく描けるように考える力を付けていくこと。
これが疎通の課題を解決するということになります。
このやり取りは、実際は1対1でコミュニケーションしながら特定していくものです。
自分の固定した観念をつかむことで、根っこにある変化すべき認識を明確にすることが目的です。
明確になることで、これを変化すればいいんだなと、脳に理解させることが出来るんですね。
それができれば、脳が勝手に別の世界を模索し始めます。
これをセッションといいます。
「私だけが、なぜ?」と思ってしまったら、
自分の中にある固定を探し出すこと。
でした。
興味のある方はぜひご連絡ください。
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自由度をどんどん上げていきましょう!