不完全性主義

人類歴史からなぜ、自己否定やイジメは続き、誹謗中傷や差別が無くならないのでしょうか。

人間は不完全性主義に陥っているからだというレポートを書きたいと思います。



目次

不完全性主義

不完全性主義とは何か

アイデンティティと不完全性主義

学問や日常の中にある不完全性

不安、苦しみはどこから来るのか

◆不完全性主義

人間は、認識のクセに観点固定されている限り、


1.不完全という結論しか出せない

2.不完全という結論を繰り返してしまう

3.自分自身を不完全だと捉え補おうとする解析をしてしまう

4.不完全性に影響を受けた関係構築しか出来ない

5.不完全な関係性であるという結論が最も安定して共有することが出来る


から自由になることが出来ません。


◆不完全性主義とは何か

人間は認識機能の影響を受けた世界にいます。

認識機能とは、脳の認識のクセによる脳が認識する世界です。

認識のクセとは、脳が世界を認識するときに、部分だけをとる、違いだけ、過去とつなげて理解する、有限化するという認識パターンを指します。

さらに認識のクセには特性があり、相違点(部分、違い、過去、有限化)の情報だけで対象の全体像を思い込んでしまう特性があります。



この認識のクセが働くことで、自分を含め、あらゆる存在・現象の全体を認識することが出来ず、必ず、不完全性を伴います。

このため、思考・感情・イメージ(以下解析)はこの影響を避けられず、解析による結論や概念のすべては不完全性が伴います。



あらゆる解析・結論に対して、不完全を探してしまう、不完全だと思ってしまう、不完全による不安を感じてしまうことが不完全性主義です。

ただし、不完全という結論があること自体は疑うことができません。


◆アイデンティティと不完全性主義

人間は、認識のクセにより、自分自身の全体を認識することが出来ません。

相違点(部分、違い、過去、有限化)による自分自身の理解では、自分自身にどんな条件・状況・環境でも揺るがない確信を持つことが出来なくなります。

これにより、自分自身に対して何かが足りないという欠乏感を常に感じることとなります。



この確信が持てず何か足りない感覚に対して、これを補おうとする解析が条件反射的に働きます。

しかし、どんな解析をしても、脳が認識するすべてには不完全性が伴うため、最も安定した解析を探し出そうとします。

最も安定する解析とは、不完全な事象に対して不完全であると解析する(否定)ことです。

このため、常に不完全を探しだし、安定した解析の結果で補おうとします。つまり、不完全であるという結論を繰り返してしまうことになるのです。



あらゆる解析は、認識した結果です。

認識する世界には必ず不完全性が伴います。

その中において、どんな条件・状況・環境でも揺るがない結論は、不完全を不完全であると解析することです。



これに最も影響を受けるのがアイデンティティ、自分自身をどう思うのかです。

自分自身の不完全性を補うために、最も安定した解析を繰り返した結果、やっぱり自分は不完全なんだと思い込むことになります。



不完全性が続く限り、補おうとする解析が止まることはありません。

自分に足りないものを補うために一番求めてしまうのは、やはり人間です。

愛してほしい、認めてほしい、話を聞いてほしい、かまってほしいなど、自分の満たされない心を相手に求めようとしてしまいます。

しかし、他人が自分の思った通りにすべてを応えてくれるはずもありません。

例え、補い合う関係性を相互理解の上で構築したとしても、不完全性の影響を受けた関係構築であることは変わりません。

多くの共感や感動の共有、幸せを実感した関係だとしても、それらは比較的不安定な共有です。

この関係性は不完全であるという結論ほど、安定的に共有できる結論はありません。

そのため、自分の足りない不完全性を補い合うための関係構築は、限界があります。


◆学問や日常の中にある不完全性

数学や物理学には、あるクローズ界において成立する定理・公理があります。

三角形の内角の和が180度というのは、面積の無い点、面積の無い線、絶対平面という条件において成立する知識です。

しかし、絶対平面でなく凹凸のある平面であれば、内角の和が必ず180度になることはありません。

あらゆる定理・公理は特定の条件でのみ成立する不完全性が含まれています。

哲学の歴史は、先人の哲学の不完全性を批判し、それを超える哲学を構築してきました。

生み出された結論は必ずある不完全性を補う目的をもって生み出されています。

不完全性のない世界に哲学は生まれません。またどんな哲学でも、脳が認識した結果である不完全性は伴います。

さらに日常における、技術のイノベーションや都市の発展なども、これまでの生産物の不便性や性能の低下という不完全性を超えることで発展し続けてきました。

つまり、日常のあらゆる生成物や人工物には不完全性が隠れています。

人類歴史は、不完全性主義の結果、発展していると言えます。

ただし、その結論も不完全だと言ってしまうのも不完全性主義です。


◆不安、苦しみはどこから来るのか

自分を含め、世界のすべてを不完全であると結論づけることが、最も確信的であるなら、どうして人は不安や苦しみを感じてしまうのでしょうか。

それは、解析と心にギャップが生まれているからです。

解析とは脳が認識した結果です。

脳が認識している世界と心が感じようとする世界に違いが生じると、人間は、モヤモヤしたり苦しみや不安を感じます。

逆に、認識している世界と心が感じようとする世界に違いがなく一致した状態、もしくは、認識の世界を飛び越えて心の感じようとする世界で溢れた時、ワクワクや心が躍り、感動、歓喜します。

どうやら脳の認識した世界が前提となり、その世界の中に心が囚われてしまうと、不安や苦しみとなるようです。

つまり、認識機能による不完全性の世界に心がとらわれてしまうことで起きるのが不安や苦しみです。

人間が心を失わない限り、認識機能が働く世界の中で不安や苦しみは避けられないものとなります。

その不安や苦しみを感じる自分を不完全だと捉えてしまうと、補うために相手を誹謗中傷したり、自分よりも尊厳の低い存在をつくるためのイジメ、さらに自分自身の不完全性を探してしまうことが繰り返されてしまいます。

これはどんなに年齢を重ねても、社会経験を積んでも、あらゆる知識を得たとしても、続いてしまう認識機能の業だと言えるでしょう。

科学技術が進化し、都市文明が成熟した現代においても、SNSなどでの誹謗中傷が絶えず、イジメが無くならないのは、不完全性による不安や苦しみを解決することが未だ解決することが出来ていないからといえます。

しかし、逆に捉えれば、この不安や苦しみは、脳の認識の世界が心から創りたい世界ではないんだという叫びでもあると、考えることが出来ます。

つまり、認識した結果が私ではない、認識した世界の外側にいる心そのものが私であると言えます。

不安や苦しみは心を傷つけてしまうものですが、実は、その出発点までたどり着けば、そこにまぎれもない心そのものの私、不完全性主義の影響を受けない私がいると言えるでしょう。

そのためには、心が何か、認識している世界からどうすれば自由になれるのかを、再現性あるコンテンツとして身に付ける必要があります。

この限界を突破することが出来る技術が、認識技術 nTech(令和哲学)です。

そろそろ桜🌸の季節も終盤ですね。

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